プレゼント選びと企画の仕事

 

先日、会社の先輩の誕生日プレゼントを選ぶのに、散々頭をひねったあげく「鉛筆専門店」に入った。鉛筆がメインとはいえ、メモやノートの紙ものから、革のメモホルダー、ボールペンまで色々ある。

 

こじんまりとして厳選の品が並んでいたにも関わらず、結局そこで1時間以上悩み続けた。昔から、プレゼント選びにものすごく時間がかかるたちなのだ。

 

まず、その人との全ての会話を思い出すところから始まる。

 

そして好きなものを思い出し、

嫌いなものを思い出し、

 

持っているものを思い出し、

持っていないものを思い出し、

 

必要だと思っているであろうものに思いを馳せ、

考えもしないけれどきっと好きになるかもしれないものにも思いを馳せ、

 

などとのらりくらりしていると、誕生日2週間前だったのに気づくと前日だった、なんてことが良くある。頭をひねりすぎて、買ってからこれでよいのかと悩み出すことも常のことだ。

 

そうして、悩み続けて同じ鉛筆を手に取るのも3度目くらいになったとき、ふと

「ああ、これ企画の仕事をしている時の気持ちと同じじゃないか」と、ぽかんと思った。

 

受け取る相手の気持ちを考え続けるという単純なことが、なんでこれほどまでに悩ましいんだろう。

中村一義とフィルム映画

 

デザイナーのお姉さんが、中村一義の「金字塔」というアルバムを貸してくれた。

15年以上前のアルバムで、ジャケットに年季が入っている。

記憶を借りたきがした。

 

これを歌っている中村一義は21歳らしく、なんだか昔のフィルム映画を見ているような、懐かしいような、妙な心持になった。

 

こうやって、少し年上の人が、人生の中でとても気に入っている音楽を教えてくれるのはすごく好きだ。

 

寺山修二も、坂口安吾も、レオンも、デリカテッセンも、ホドロフスキーも、ミッシェルぺトルチアーニも、あとはもう色々忘れてしまったものもあるけど、そうやって教えてもらってきたものだ。

 

ちょうど今日橋本愛が18歳のときピンク映画とロマンポルノにはまっていたという文章を読んで、ああ、これだよこれ、そういうの、いいなあ。

感動と依存


とても好きなバンドのボーカルが、
10年も前からやっていたブログを見つけて読んだ。

めちゃめちゃ売れてるのに、2年前のブログなんて、毎日朝までバイトしてた。

で、これは全くリアルなブログなんかではなく、わたしはこの人が成功するのを知っているから読める。

結末に依存してるから感動したふりできちゃうんである。実は超ずるい。

そういうわけで、依存と感動は、意外と近いところで強烈な熱を持って絡みついていると思うのだ。


呼吸と改行

 

 

とある人が、メールを書くときにいつも書き出し3~4行あけてから文章をはじめるのを、1年間くらいなんでかなあ、と思っていたのだが、ある時ふと気づいた。

話す前に深呼吸する代わりに、書く前に改行しているのだな、と。

 

もしかしたら早口の人は改行が少なくて、

考えて喋る人は改行も広いのかもしれない。

 

良くしゃべる人はブログも長くて、

考えていても外に出せない人はブログがとても短いのかもしれない。

 

そんなの、どうやって証明するのさ。

メビウスの輪と紙一重

 

「紙一重」と聞くと、なぜだかメビウスの輪を思い出してしまう。

 

紙一重の方は「1枚の紙の厚さほどのきわめてわずかな違い」のことらしいが、

 

「好きと嫌いは紙一重」よりも、
「好きと嫌いはメビウスの輪」って言った方が、嫌いになってもまたすきになるかもしれない希望が出てきて、僅かながら未来に光が見える感じ。

 

「馬鹿と天才は紙一重」。この場合は、
「馬鹿と天才はメビウスの輪」になるが、これも、舌を出したアインシュタインのお茶目な感じが連想できるので、有り。

 

ま、どっちも必要なのは紙一枚だけなんだけどね。

木漏れ日といただきます

 

「木漏れ日」と「いただきます」という2つの言葉は、実のところ共通点がある。

それはなにかというと、日本にしかない言葉であること。

どの外国語にも、これに該当する言葉は無いのらしい。

 

それでいうと、ドイツには”Waldeinsamkeit”という言葉があって 、これは「森の中でひとりぼっちでいる気分」という意味だし、

 

スペインの”Sobremesa”という言葉は、「食事を一緒にした相手と話し足りなくて、食後に話し込む時間」のことだと、ネットに書いてあった。

 

どちらも、言葉の上にその国のテクスチャというか手触りが乗っかってコーティングされていて、とても良い、とおもう。